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西尾維新とデスノートとxxxHOLiC。
みっつともダイスキなわけですが
そのダイスキな小説家の西尾維新さんがダイスキなまんが
「デスノート」と「xxxHOLiC」のノベライズをいたしましてですね。
もちろん両方かっておいしく読ませていただいたわけですが。
その片方xxxHOLiCのノベライズ「ランドルト環エアロゾル」を読んでて
感じたことなんですが、
なにが既視感かという程ではないのですが昔おれは
「これ」と非常に似たようでちょっと違うような思いをもったことがあるのです。
例を出すと
≪自分の認識しているものは自分しか認識できておらず、他人から見た場合は自分の認識した【ソレ】とは別の【ソレ】が他人に認識されている。つまり世界は自分の意識下でしか展開していない≫
すこし分かり易く言えば
≪おれが今【赤】と認識しているこの色は、隣に座っているこいつが認識している【赤】と同じ色なんだろうか?ひょっとしたらこいつにとっての【赤色】はおれにとっての【緑】なのでは?≫
みたいな。
≪今世界は自分の視界に広がっている分しかなくて、実はゲーム画面にうつるポリゴンのように裏側はなんもない虚無空間なのではないか?音はただその広がっている世界からズレない程度にSEのように流れているだけではないのか?≫
のような。

戯言世界風にいえば「世界広大狭窄論」とか
「無限に広がる大宇宙、ただし今自分が向いている方向だけ!」
「目の前に広がるのはとーっても広くとーっても綺麗な丘ととーっても巨大でとーってもローマンティックなお城!ただし全部ハリボテ!」
みたいなっ。

映画「マトリックス」にも微妙に似てるかもしれないですね。

高校の時にサターンやPSで「ポリゴン」の概念を知って特に強く感じたワケですよ。
「人為的に擬似的だが現実的な空間の構築が可能ということは、ある種先の考えがまかり通るのではないか」と。
まぁしかしソレを証明する証拠も根拠も意味もなければ、肯定する要素も意義も意味もないし、かといって否定する理由も論拠も意味もあるかといえばないんですよね。
それにだれかに真顔でいったとしてもおそらくキ○ガイか変人、
下手すりゃ陰で「パラノってるぜアイツ」と後ろ指を指されかねません。のであんまし言わなかったわけだけど。
といいつつも親しい人間になら一度二度は話したことがあると思うのですが、わりと共感を得られた記憶があるのですよ。
おれの≪認識≫違いでなければですが。

話の最初に出しましたがxxxHOLiCという作品自体がそうだし、
これがこの作品を好きな理由なのですが、
「自分が≪ある≫と感じたならば≪ある≫のだし、そうで≪ない≫のならば、≪ない≫。」
「世界は知らない者の前ではひとつで≪ある≫けれど、それを知る者の前ではひとつでは≪ない≫」
という言葉がしょっちゅう出ます。
たしか前述文の初出はすげーふるい読み物だと思う。
いや幼少の頃の妄想の記憶か、既視感か?
ともかくこの言葉だいすき。
なんかパラドックス。なんか妄想。
これはその端的な一例かもしれないな、とそういうことでした。

まぁ真偽の程等は放っておいて真面目に考えず
「こーいう考え方も≪ある≫んだね」
「話のタネにならなくは≪ない≫かも」くらいの
余裕≪ある≫大人の≪認識≫でお願いしますよ読んだ方々。
ねー ( ´∀`)人(´∀` )
by dancingflower | 2006-08-11 03:32